【本の紹介】屈折くん 和嶋慎治(人間椅子)

どんな本か?

日本屈指のハードロックバンド「人間椅子」のギタリスト・和嶋慎治の半生を綴った自伝。

求道者としての苦しみ、そのなかで形作られた覚悟と見出だした生き方が描かれている。

どんな人におすすめか?

表現者はもちろん、自分の人生を全うすべく生きる全ての人に読んでほしい本である。

人間椅子を知らなくても是非手に取ってもらいたい。

屈折くん
和嶋 慎治
シンコーミュージック

トリ

和嶋さんの本!興味あるぞ!

和嶋慎治「屈折くん」を読んだ 感想とか

筆者が愛してやまないバンドのギタリストが自伝を上梓した。

それを読み、そのあまりのかっこよさに滂沱の涙を流していた。

(ゲ、マジかよ)

トリ

その涙は好きなバンドへの憧れと言った感情とは異質なものだ。

一人の男が試練求め、そして試練に挑みつづける生き様に心を撃ち抜かれたのである。

同時に自らの今の生活を振り返るきっかけとなった。

これはバンドのファンだけが読むべき本では決してない。

そう思い、本を紹介するために筆をとった次第である。

屈折くんとは? 人間椅子・和嶋慎治の自伝を紐解く

その本のタイトルは「屈折くん」。いたってやわらかで、可笑しみすらある。

しかし中身は実に険しい。

一人の求道者の苦難に満ちた歩みと、その先に見出だした道標の物語である。

男の名は和嶋慎治

日本最高峰のハードロックバンド「人間椅子」のギタリストだ。

音楽が好きな方は人間椅子をフェスで実際に目にして知った方も多いのではないだろうか。

人間椅子は近年、あるきっかけから躍進を見せている。バンド生活30年を目前(執筆当時)にして動員を増やし、またアイドルやテレビドラマなどへの楽曲提供も増え、大規模なロックフェスへの出演も果たしている。

今尚活動の幅を広げつつ創作を続けているのだ。

しかし、現在へと至る道のりは長く、決して平坦ではなかった。

苦労と試練は、僕にとっては宝石のようなものです

前書きでこう述べられているように、苦労と試練に向き合うことにより和嶋氏は自分の為すべきことを確信し、自分がどう生きていくべきか知るに至る。

この本はその和嶋氏の宝石たる苦労と試練が描かれている。

音楽へ、そして芸術へ向き合う研ぎ澄まされた求道者の姿がそこにはある。

トリ

なんか凄そう……!

屈折くんに描かれる和嶋氏の生き様

筆者は屈折くんから、自分に向き合うことを教えられたと思っている。

 

和嶋氏がギターボーカルを務める人間椅子は、再デビューとも言われているOzzfest Japan 2013の出演をきっかけとして飛躍を続けている。

それ以降、和嶋氏はますます勢いを以て創作を続けている。その作品は常にルーツを見失わず、それでいて常に新しくあろうとしている。

和嶋氏が今のように表現者として創り続ける覚悟と確信を持つに至る道程には、多くの試練、そして多くの人との出会いと別れがあった。

特に再デビュー前の暗黒期とも呼べる最も苦しい期間に如何にもがきつづけて人生に向き合い、自ら道標を見出したのか。

屈折くんにはその姿が懊悩と嗚咽を伴って赤裸々に描かれている。

自ら身を投じた肉体労働生活にて芸術について考えを巡らせ、しかし時に酒に溺れた。哲学の本を読み漁り、それは指針にはなりうるものの、和嶋氏の人生の答えそのものは見つからなかった。

そして次のように考える。

きっとその答えは自分で見つけるしかないんだろう。そしてその答えも見つからないままに、僕は死んでいくのかもしれない。

「それならばせめて」、と思った時にある想いが和嶋氏の内から自然と出てきたという。

それは氏の心の拠り所となり迷いは消え、和嶋氏とバンドの活動は好転していくのである。

 

筆者などは、和嶋氏が創作へとまっすぐに向かうべく、大事なものと別つ決断を下す場面では戦慄を覚えた。

そして次のように感じるのであった。

いざ自分に向き合う時、どうしたって自分の不恰好さや醜さが見えてしまう。

それすらも勇気を持って受け入れ、その後ろに隠れているものをすくい上げるのだ。

そんなことを屈折くんの生き様をもって教えられた気がしている。

 

今生きているのは自分の人生なのである、と思い返さずにはいられなかった。

トリ

フーン。頑張れ

自らの深みへ 「深淵」に迫る

暗黒期を経て生み出された曲がある。

「深淵」という曲である。筆者が最も好きな人間椅子の曲だ。

心の深淵を覗き込むことをテーマとした曲である。

ゆっくりと暗がりを降りてゆくようなイントロのアルペジオは穏やかながらどこか緊張感がある。

自らに対峙することに付随するある種の恐ろしさを感じさせる雷鳴のようなメインリフと、不規則な稲妻のごときサビがどこまでもカッコ良い(実際に和嶋氏はフレーズを考えていた際に暗い部屋で、外で鳴り響く稲妻に合わせてギターを鳴らしていたそうである)。

転調後の高貴な決意に満ちたかのようなフレーズに至り、心打たれずにはいられない。

そしてまた自ら試練の道へと戻ってゆく。

屈折くん読了の後にこの曲を聴きそのあまりの美しさに筆者は涙した。和嶋氏の生き様そのものを描くようなその詞に心揺さぶられずにはいられないのである。

是非和嶋氏の半生を垣間見ながら、「深淵」をはじめとする人間椅子のカッコ良い曲の数々を聴きいってもらいたいと思うばかりである。

トリ

全曲聴き返すわ!

(持ち曲は200を優に超える)

トリ

ゲ!多い!

屈折くんを読むべし

現代には数多の生き方があり、それぞれがこのうつしよをどうにか生き抜いている。そんな中、和嶋氏は生粋の表現者として人生に向き合ってきた。

音楽や芸術に携わる人に関わらず、自分自身の人生を全うすべく生きている人には探すべき道標がどこかにあるのだろう。

惑うことも多いに違いないだろう。しかしどんな形であれ、為すべき事を見つけるためにあがきたい。

筆者はこう思った後、取り敢えずこのブログを開設することにした。あがきの一環である。

トリ

どうしてそうなった

この物語は、我々に一歩踏み出す勇気を与えてくれる。

すべての表現者はもちろん、人生に惑う現代人にこそ読んでいただきたい。

トリ

みんなで読もう

 

それにしても、人の人生とは面白いもののようである。

補足 人間椅子について

和嶋氏のハードロックバンド・人間椅子についてごく簡単に記す。

人間椅子の音楽性
人間椅子は70年代ブリティッシュハードロックのサウンドを日本の、そして青森の土着性でもって昇華させる。

その曲の数々は常に重苦しく激しいリフに彩られており、奇想と猟奇に富んだ日本語詞は芸術性とともにロックの見世物としての側面も披露している。

そして和嶋氏のギターソロは圧巻の表現力を持つ。時にブルージィに、時にプログレッシブに妖しく我々を魅せつづけている。

人間椅子のこれまでの歩み
中学時代からロック仲間であった和嶋氏と鈴木研一氏(ベース)により結成される。

1990年、あるテレビ番組の企画にて華々しくもデビューを果たす。

いわゆるバンドブームであった。 そしてそのブームの盛衰に合わせるようにバンドの売上は停滞する。

しかし彼らは自ら標榜した音楽を作り続け、遂にOzzfest Japan 2013に出演を果たす。

このフェスはオジー・オズボーン主催のロックフェスである。

オジーは人間椅子のルーツとなるバンドの一つ「Black Sabbath」のフロントマンであり、つまりそれはバンドとしての一つの夢を叶えた瞬間とも言えた。

再デビューとも言われたこのことを契機として、バンドの活動は更に上向き始め、動員を増やしながら今も精力的に活動している。

トリ

今後も目が離せない!

ただの余談 サイン入りの屈折くんとポスター

筆者は予約して特典音源付きの屈折くんを購入した。

しかし後にライブ会場にてポスターがもらえるということで、思わず2冊目を購入してしまった次第である。

ライブ会場にて買い求めた屈折くん。サイン入り。第2判なため、一部改稿されている。

屈折くん書籍と、そのカラー頁に使用されている写真のポスター。額に入れてみたが非常に良い。

ポスターサイズはB2である。

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