【映画】『柔らかい殻』を観た!【少年期の悪夢】

映画柔らかい殻のあらすじと感想、おすすめ映画

1990年の映画『柔らかい殻』(フィリップ・リドリー監督)のデジタルリマスターによるリバイバル上映をシネマート新宿にて観てきた。

トリ
トリ

結構昔の映画だな

筆者
筆者

たまたま目にしたビジュアルの美しさに惹かれたのだ。これが大正解であった…!

そんなわけで感想なんかを書き記しておきたい。

※以下、映画の内容に触れているのでご注意ください。

『柔らかい殻』のおおまかなあらすじとか

1950年代のアイダホ州にて、美しい黄金色の小麦畑がただただ広がっている。

8歳の少年セス(ジェレミー・クーパー)は、大きなカエルを両手いっぱいに抱えて友人のイーブン(コディ・ルーカス・ウィルビー)とキム(エヴァン・ホール)に見せびらかし、通りがかった未亡人ドルフィン(リンジー・ダンカン)にカエルを使ったとんでもないいたずらを仕掛けるのだが、厳格でヒステリックな母親(シーラ・ムーア)にそのことがバレてしまう。母親から謝罪命令が下りドルフィンの家を訪ねると、セスは家の中へと招かれる。そこには亡き夫の家族が漁を営んでいた名残として捕鯨の銛や骨が美しく飾られており、セスは銛をもらい受ける。そして彼女は「自分は200歳だ」と告げ、亡くした夫のことを語り始め、箱の中にしまった夫の名残を見せつつ香油の懐かしい匂いに泣き始めるのであった。その様子に驚いたセスは逃げ帰り、父親(ダンカン・フレイザー)の読んでいた本の表紙の吸血鬼と彼女が似ていたことから、彼女が吸血鬼なのだと確信する。

ある日、セスの父親の営むガソリンスタンドに漆黒のキャデラックに乗った男たちがやってくる。本を読んでいた父親は対応をセスに任せ、セスは車にガソリンを入れる。運転席の若い男はセスを鏡越しに凝視し、名前や年を訪ね、去り際にセスの唇に触れ「また会おう」と告げる。

それからほどなくして、しばらく行方不明になっていたというイーブンの遺体が井戸で発見される。セスはその犯人をドルフィンだと思っているのだが、セスの父親に容疑がかかってしまう。気の弱い父親にはある秘密があり、その露見を恐れてひとり追い詰められた彼はスタンドでガソリンを浴び、それを見ていた息子と目があった瞬間に焼身自殺を遂げてしまう。燃え盛るスタンドの業火が、セスの目には美しく映っていた。母親は「いくじなし」と何度となく叫び続けていた。

帰還兵であり、家族の頼みの綱でもあったセスの兄キャメロン(ヴィゴ・モーテンセン)が家に帰ってくるのだが、母親はすでに精神を崩していた。そしてこともあろうにキャメロンはドルフィンと恋に落ちてしまう。セスは吸血鬼に兄が狙われていると気が気ではなくなっていく。

そして悲劇は思わぬ形で連鎖しはじめるのであった。

『柔らかい殻』のほんわか感想

少年の視点から美しい悪夢が広がる

果てしなく広がる開かれた小麦畑という景色にともなうこの閉塞感たるや。

一面の黄金色の平原と、哀愁に満ちた壮大な音楽が描き出すのは一人の無垢な少年という信頼しがたい語り手の目を通した悪夢のような現実である。身近な死よりも、吸血鬼や天使に重きを置いてしまう混沌とした幼い目からこの悪夢を見届けなければならない、そんな映画であった。

冒頭からとんでもないシーンが繰り広げられる。セスがパンパンに膨らませたデカいカエルを道端に仕掛けドルフィン婦人が覗き込んだ瞬間にパチンコでカエルを爆発させてその血を浴びせるのだ。あまりに強烈すぎるシーンにいきなり度肝を抜かれた。

筆者
筆者

美しい青空をバックに血まみれの婦人が顔面アップで絶叫するのだからこれはまじで目が離せん…!

トリ
トリ

いや悪ガキすぎだろw

やんちゃな少年たちのいたずらの背後には、ある種の田舎の閉塞感を感じずにはいられない。

カエル爆発も相当なのだが、鮮烈で引き込まれずにはいられないシーンが多いのがこの映画のひとつの見どころと言える。メインビジュアルになっているドルフィンの家の装飾、大平原に佇むどこか歪んだ建物、小麦畑に不釣り合いな黒いキャデラック、燃え盛るガソリンスタンドと立ち尽くして見つめるセス、不可思議な声を奏でながらカモメの死骸を運ぶ双子、納屋で見つけた天使=遺棄された胎児の遺体、セスが覗いてしまったキャメロンとドルフィンの逢瀬、キャメロンが持っていた写真に写された被爆し皮膚が鏡面のようになった日本の赤ん坊(原題のTHE REFLECTING SKINはここにかかるのだろう)、そしてラストのあまりに美しい夕暮れ。

監督は1980年代にロンドンの美術大学で絵画を学んでおり、「アメリカン・ゴシック」と名付けた一連の作品を作ったという。写真のコラージュと絵画で構成された作品郡であり、アメリカ的なもののイメージとして上に挙げたシーンのようなイメージをすでに築きあげていたのだ。その時は散文的なイメージの連なりだったのだが、大学にて展示した際に評判となり「映画のスチール写真のようだ」というコメントをきっかけとして、イメージをすべて包括する映画を考え始めたのがこの映画を作るきっかけとなったのだという。つまり物語よりも先にイメージがあったという一風変わった成り立ちの映画なのだ。

この鮮烈なイメージを、不確かな子どもの目を通して体験することができるという恐ろしくも素晴らしい映画であった。

更に要所でかかるストリングスを主体とした音楽がどれも美しく、これらのシーンを哀愁を湛えて彩っていた。

筆者
筆者

音楽もマジでよかったわ〜

キャストもイイ

キャストの演技には引き込まれるものがある。

まずもってセス役のジェレミー・クーパーが素晴らしい。まっすぐで無垢な瞳が目を引くわけだが、その彼のフィルターにより我々観る側は大いに翻弄されるわけで、そのことに妙に説得力がある瞳である。

筆者
筆者

セスとか子どもたちはみんな演技上手い感じだったんだよな〜

セスに関してはラストシーンが最高にすばらしく、連日天気に恵まれず諦めかけた矢先の奇跡的な条件で出会った夕日の美しさったらない。彼の中の少年期が完全に崩壊するかのようなあの声が耳にこびりつく戦慄のシーンはこの悪夢のような映画に最高のラストとして筆者の中に強く残ったのであった。

キャリア初期のヴィゴ・モーテンセンはセス同様の黒髪が美しい。なにやらすでにむんむんにセクシーであり、しかし徐々にやつれていく感じが妙にリアルである(劇中よくわからなかったが、帰還兵の彼はどうやら被爆しており、歯茎の血や抜け毛はその影響だとパンフの解説に記されている)。ドルフィンの家での逢瀬のシーンには度肝を抜かれるばかりである。

トリ
トリ

あ、指輪物語のアラゴルンの人か!

逆にリンジー・ダンカン演じるドルフィンは本当に若々しくなっていくように感じられたのだが、あれは筆者の勘違いかあるいはセスのフィルターの影響か。なんとも妖しい魅力があった。「子供時代の悪夢」を語るシーンも印象的であり、この映画にとっては象徴的でもある。そして筆者としては冒頭のカエル爆破シーンがやはり最高なのである。

ガソリンを浴びまくる父親、情緒が崩れてしまった母親も絶妙な演技でこれまた素晴らしい。

筆者
筆者

そんな感じ!

おわりに

ということで、『柔らかい殻』を観た!という話である。

筆者
筆者

いやはや、なんとなーく惹かれて選択肢がいろいろあるなか観に行ったけど、本当に行ってよかった映画であった

トリ
トリ

ほほ〜

関東での上映館もすでに少なめではあるがおすすめ映画である。

映画館のポスター。このビジュアルが気になったのが観るきっかけの一旦である。
パンフ読み応えあり。
映画館内にあったビジュアル。
シネマート新宿のトイレにムカデ人間
おまけだが、シネマート新宿のトイレに貼ってあるもろもろ。なんかすごいことになっている。ムカデ人間懐かしい…!

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