平山夢明先生が『シネマdeシネマ』にて紹介していた『関心領域』を映画館にて観てきた筆者である。
なんかいろいろ怖かった…!
へ〜、タイトルからはよくわからんけど
しかしながら同時に凄まじい見ごたえでもあった。
そんなわけで感想などを書き記しておきたい。
※以下、映画の内容に触れているのでご注意ください。
【関心領域】ふわっとしたあらすじ
仕事熱心なお父さんが昇進して転勤することになっちゃう話である(仮)。
しかし今住んでいる『家』が大好きな奥さんは「子どもとともに残る」と言って聞かない。
仕方なく一人転居するお父さん。
異動先にて、家族のいる地でまた働くべくどうにか手を尽くすのだが…。
ん、そんな話なの? 怖いの?
付け加えると、舞台となるのはドイツである。時代は1945年。
そのお父さんことルドルフ・フェルディナント・ヘスは、アウシュビッツ強制収容所の所長であった。
奥さんが執着してやまない「家」は、収容所に壁一枚隔てたすぐ隣に建っていたのである。
ん??
そんな話である
え!?
音響でみせる恐怖【体感させる音】
ヘスの家の大きな庭には、小さいながらもプールが設えてある。
豊かな植栽は美しく、温室まである。
ときには人を呼び、賑やかに過ごす。
当時としてはかなり満ち足りた生活ではなかろうか。
そして、日常の中に壁の向こうの『音』が平然と紛れ込む。
地鳴りのような不穏な低音。
乾いた銃声。
怒声、叫び声。
しかし家族にその音を気に掛ける者はいない。
唯一反応を見せるのは泣きわめく赤ん坊のみである。
壁の向こうで行われていることは何も映し出されることがない。
わずかに壁の上部にのぞく煙突から時折出る不穏な煙、夜のカーテン越しの何かを燃やす炎の赤、川に流れる灰、それだけなのだ。
観るものは『音』から壁の向こうのさまを想起するしかない。
そして、その環境を目の前にしながら、豊かで幸せそうな生活を平然と送る一家を容赦なく対比する映像に戦慄する。
あるいは、その環境に投げ込まれたとして自分はどうなってしまうのかと顧みることになるかもしれない。
監督はJONATHAN GLAZER
関心領域の監督はジョナサン・グレイザー氏である。
『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』などの作品で知られる監督だそうな。
長編映画は10年ぶりとのことである。
またジャミロクワイの『ヴァーチャル・インサニティ』のMVを撮影した監督としても有名。
2.7億回再生されとる
筆者は監督作品の映画を初めて視聴したのだが、整然とした画作りが印象的だった。
上記のMVも視覚的な創造を感じさせるすばらしいものなのだが、映画のなかでもなにやら目が離せない魅力があるのだ。
部屋に仕込まれた複数のカメラを用いた同時撮影をしているためか、家族を観察しているかのような赴きもある。
家は収容所跡地(博物館)の直ぐそばに建てられたセットで、
監督たちは地下のモニタ室にて俳優の演技をディスプレイ越しに観ていたらしいぞ
ちなみにカメラが動くシーンは数えられるほどしかない。
そのどれもが壁の前を人が歩くシーンとなっていた(はず)。
長く無機質な壁が印象付けられ、されにその向こうで行われていることとこちら側で行われていることの対比もまた感じさせる。
非常に目をひく画面構成はどことなくキューブリックに近い赴きを感じた。
筆者としては今後監督の他の作品も観てみたいところと思った次第である。
異物のようなシーン
ヘスと家族の営みを観察するかのようなパートを本編とするならば、異物のように挿入されるパートが2つある。
鮮烈だった
精細なサーモグラフィ映像【救いのエネルギー】
不意に映し出される少女の映像が印象的である。
少女は収容所に忍び込んでいる。
そしてその様子は、非常に鮮明なサーモグラフィの映像となっている。
映像の異物感がものすごいのだ。
撮影では照明を使わないと決めてたそうなのでこういう手法をとった、というのもあるみたい。
ともすれば物語における脅威とも映りかねない不穏な印象の映像なのだが、彼女はレジスタンスである。
収容所の作業場にて、飢えに苦しむ収容者を少しでも癒すべく夜中のうちにりんごを隠していたのだ。
これは実在の人物をモデルにした少女の行動なのだという。
アレクサンドラ・ビストロン・コロジエイジチェックという人物らしいな。
当時は12歳だったとのこと…!
そしてその行動の中で、少女は思いがけないものを託される。
収容者の想いが残されたモノである。
この世の地獄にて、自分ができることをせめて、という想いを彼女は静かに受け止める。
人間の善性に触れる救いのシーンと言える。
ドキュメンタリー映像【問いかけ】
もうひとつの異物的シーンがは、唐突に映し出される現代のドキュメンタリー映像である。
物語の終盤、ヘスは家族のいる家に戻ることになる。
奥さんへその旨の連絡を終え、異動先の建物の階段を降りていると急激に吐き気をもよおして盛大にえずく。
そこでしばし立ち尽くすヘスが、あたかも未来を垣間見てしまうかのように不意に現代のシーンに切り替わるのだ。
収容所は今、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館と姿を変えている。
その開館前の準備・清掃の様子が淡々と映し出される。
廊下に張り出された数多の顔写真、展示される服、松葉杖、そしてまさに無数の、山と積み上げられた靴。
壁の向こうの『音』が作り出した残骸である。
その無関心の果てが、今もそこに残っているのだ。
ヘスはしばし足を止めていたが再び漆黒に暗んだ階段を降りていく。
家にもどることは、すなわちあの壁の向こうで考えずに働くことである。
嘔吐するヘスにはもしかしたらまだ何か人間として大事なものが残っていたのかもしれない。
最後に残ってたそれを、いよいよ出しちゃったのかな…
これらの2つの異物的シーンは現代的な技術・手法で撮影されている。
パンフレットの記述を読むに、監督の中にはこの題材が過去のものではないのだという想いがある。
それは昨今の世界情勢を観るに明らかなことであろう。
各々の関心領域のあり方を考えることをやめてはいけないのだ。
そんな感じで見応えある映画だったわ〜
おわりに
ということで関心領域を観た!という話であった。
決してエンターテイメントではないのだが、観てよかったぞ。
映像も音も素晴らしく、そして怖い。
工夫をこらした手法で表現を突き詰めた作品である。
興味があればぜひ観てみていただきたい。