さて、現実逃避のその先を臨む当ブログ「yozoutsutsu」が100記事に到達した。
なかなか感慨深い。
トリ
記念すべきかどうかわからないが、キリがいいのでなにやら文章を残しておく次第である。
以下、思いの外とりとめのないことをいたずらに長く書き記した。
極度に物好きな方はご覧いただきたい。
→home
こら。
【yozoutsutsu】100記事目に達した
改めてこのブログを書き始めた経緯などを無暗に記す
そもそも書きはじめたきっかけはつぎのようなものである。
社畜ライフ満喫
現在「小学校を卒業するくらいの期間(+α)」続けている社畜ライフだが、はっきり言って絶望している。
それは主に以下のような要素に起因する。
- 自らの無能さ
- 仕事への興味の持てなさ
- 会社が抱えていそうな面倒な、そして残念な諸々
2018年の6月までにおいてそれらが積もりに積もっていた。
まぁ半分以上自分のせいである。
そんな中で周りが転職なり、あるいは決意を持って身を固めるなりする最中、筆者などはそれもできない。それは偏にどちらにせよ会社員、と言う選択肢に過ぎないからである。
しかし幸いというかどうなのか、部署の方々はいい人が一見多い。
そして綱渡り的ではあるのだが、なぜか筆者が決定的にボロを出さない状態が続いている。
同期や年次の近い先輩後輩ともよく遊んでおり、貴重なラウパ仲間(毎年一緒に観に行く)やマジック仲間(休日や会社帰りに大会に出たり、時にはグランプリへ遠征したりする)がいると言うのがでかい。
そんなこんなでなんとなく生活していられているので、決定的に何かを変えることはせずに今に至るのであった。
そしてその状況からまた目をそらすべく、多角的に現実逃避(要は趣味に逃げ道を求めること)をしてきたわけで、その現実逃避のツールとしていよいよブログを始めたのである。
話は学生の時分にさかのぼる。
こら。
遡って、モラトリアム極まる
さて、今に至るまでごく親交の深い友人がいるのだが、学生の時は彼と定期的に接触を図っては、現実逃避的邂逅を重ねるばかりであった。
まあ読んだ本、マンガ、聴いた音楽、観た映画、聴いたラジオなど、とにかくそんな話をしまくっていたわけである。
友人が深い造詣を持つメタルや影響を受けた漫画家について、あるいは筆者がたまたま大学の授業で観た寺山修司の映画について。
そのほかにも色々あったわけだが、オーケンのエッセイ、黒澤明作品、東京ガベージコレクション、くりぃむしちゅーのANNと興味の赴くままにつまみ食いしていた。
互いに響くこともあれば全く響かないこともあったが、ともかく飽きもせずにずっとそんなことばかりしていたのである。
今の趣味も、筆者は友人氏から多分に影響を受けている側面が確実にある。
そしてあるときその現実逃避的邂逅を無闇に拡張するある行動をおこすにいたる。
実験的文通にて立ち込める何かを醸成す
なんのはずみだったかはもはや思い出せないのだが、ある時期不意にその友人氏との現実逃避的邂逅のインターバルに、なぜか文通をする運びになった。
「文章を書く」、ということも我々の間では現実逃避ツールになり得るのでは? というある種実験にも近い思いによるものだと思われる。
そんなわけで便箋と封筒を買い、文字を直筆にてしたため、楽しげな切手を貼ってポストに手紙を投函するということをはじめたのであった。
残念ながら往復書簡ではない。
「毎週◯曜日に互いに投函」という打ち合い・ぶつけ合いの様相を呈していたのだ。
そしていつしか筆者と友人氏の文通には謎の熱量が宿り、互いに文章やら何やらを書くことになにやらのめり込んでいたように思う。
最終的には異常にイラストがうまかった友人氏は飽きも相まって文章もそこそこに圧倒的なイラストを送りつけはじめ、筆者に関しては謎のクソ連載小説などを書きはじめる始末である。
そのころはそれがただ楽しく、よもや作家にでもなれないだろうか? などと夢見勝ちに思うこともあった。
そしてそんな夢想は実際のところ、やったこともない会社員というものに対して「絶対に無理!」と直感的に信じていたからなのだと今になればわかる。
そして文章を書く仕事イコール作家しか思い付かなかった残念なあの頃の自分を呪わずにはおれない。
更に言えばなんとなく理系大学に進んで実質特に何も修めなかったこと(卒業はした)、更についでに言えば思考停止したままここまできたことも呪いたい。
そしてそのまま筆者は就活の流れにどんよりと乗ることになるのであった。
やっていることは今も変わらないと言う
文通は学生の間に止めたわけだが、就職後も極私的なクソライブレポートや、観た映画についてしょうもない感想文を友人氏にメールにて送りつけたりと言うことをしばらく続けていた。
なぜなら非常に楽しかったからである(ただし友人氏がどこまで楽しかったかはまた別の話である!)。
「この時に、しょうもない文章を考えて構成する楽しさに触れていたのだな」と明確に気づいたのは実に今年度(2018年度)に入ってからのことである。
そのきっかけとしては、次のことがあげられる。
春から夏にかけてたまたま仕事が繁忙になり、それでいて果たしてどれほど意味のある仕事なのか? という疑念が拭えずにいた。ベタな話ではある。
そんな中でともすれば生きていても死んでいてもあまり変わらないのでは!? と言うヤバ目な思いが脳裏を去来するに至る。
そのあまりに下降していた精神でなんともなしにネットサーフィンをしていた時である。
偶然今をときめくとあるブロガーの方のブログをたまたま読む、と言うイベントが筆者の中で発生した。
そこでブロガー氏の学生時代から会社員時代に至る境遇(思い)に共感し、さらにブログのあらゆる可能性まで知るに至るのであった(ついでにWordPressでブログを始める方法を実に簡易に示してくれている。これはわかりやすいのでオススメである)。
自分がかなり楽しんでやっていたことと面白そうなことがうまく重なり、それはさながら新たなる現実逃避の萌芽と言えた。
そんな諸々の偶然が重なりこのブログを開設するに至ったのである。
まぁそんな感じである。
ブログをやっていて感じること
まずはなんと言うか楽しい。
時折義務的な意識が発生するが基本的には楽しんでいる次第である。
その手応えのようなものが最近見えてきているのもまた嬉しいところである。
こんな内容ながらアクセスが増えてきているのが体感できる。
また積極的に何か体験しようと言う姿勢になりやすいのもブログの副次的な効果だと感じる。
何かしら書き残せるし体験し得である。
とりあえず楽しいので続けていくつもりである。
おわりに
取り留めもなく書き殴ったわけだが、ここまでうっかり読まれた方が居たらなんとも申し訳ないものである。
そしてどうもありがとうございます。
今後も何かしら興味の赴くままに何かを書きたい。
何かが見えるまで書きたいと思う。
そんなところである。
いやはや、それにしてもブログ執筆、面白いものである。